ゆるきりライフ

基本気張らず「ゆるゆる」生活~でもたまに「きりっ」と頑張る私のブログ

私の受けたパワハラ犯罪の記録。ブラック企業から逃げ出せず、うつ病になったお話。【前編】

f:id:yurukiri:20181111132546j:plain

 

 

ブラック企業からのパワハラで、うつ病になり、退職した過去をもつ、ゆるきりんです。

 

先日、その経験を、ジョブシフトさんの『凄いパワハラ体験選手権』にリプして応募したところ、みごと入選しました!

 

new.success-job.jp

 

入選したことが、何だか、すごく嬉しかったんですよね。

 

何がって、この入選の中でジョブシフトの中の人さんが、私の受けたパワハラに対して「犯罪です」と断言してくれたこと。

 

そう、パワハラって犯罪なんですよね。

 

私の場合は単なるパワハラの範疇を超えた内容だったこともありますが、ブログを立ち上げることを考え始めた当初から、いつかこの体験を記事にしたいと思っていました。

 

ただ、今でも当時のことを思い出すだけで動悸がして、苦しくなってくるんです。

 

まだ過去と向き合えていないということなのかもしれません。

 

今回、良いきっかけを頂けたと思い、ここに記しておきたいと思います。

 

もし、会社でパワハラを受けている人がいたら、これを読んで、早めに逃げてくださいと、声を大にして言いたいです。

 

そして、あなた自身は今現在パワハラを受けていないけれども、上司が別の人をパワハラしていることを知っていて、嫌だなと思っている人。

 

いつパワハラの対象が自分にくるかもしれません。

 

人は、自分のおかれた環境に対して「これは仕方ないことだ」と自分を納得させる生き物です。

 

そんな異常な環境が「当たり前」になる前に、どうか逃げ出してください。

 

もっと素敵な職場があるはずです。

 

自分を守れるのは、自分しかいません。

 

あなたの人生を選び取れるのは、あなたしかいないのです。

 

どうか、自分を犠牲にしすぎないで。

 

 

…前置きが長くなってしまいましたが、それではどうぞ私の経験を追体験してみてください。

 

 

大学卒業後、新卒で入社

 

初めての社会人。

 

大学を卒業して大人の仲間入りをすることに、人一倍緊張していました。

 

いつまでも甘えていられないな、ちゃんとしなくちゃいけないな、って。

 

基本的に真面目で小心者の私は、先輩たちに迷惑をかけないように、早く仕事ができるようになれるよう、常にメモを持ち、家に帰っては復習をし、一生懸命はたらきました。

 

自分で言うのも何ですが、、というか自分が今、個人事業主となって人を雇うようになってわかったことなのですが、当時の私は、社員としてかなり勤勉なタイプで、文句も言わずいつも笑顔でイエスマン、お給料以上に働いていたと思います。

(企業して数十人の人を雇って仕事してきて思うのですが、私のようなタイプは滅多におらず、社長からしたらさぞ使い勝手のよいコマだったろうなと思います)

 

社長からも「とても見込みがある」「長く働いてほしい」と常に言われていました。

 

 

 

勤務時間は、朝8時から夜12時まで週5で出勤。

 

土曜は半日出勤。

 

日曜や祝日はセミナーと称した休日出勤。(無給)

 

月にお休みは1~2日程度でした。

 

残業代などはもちろんつきません。

 

有給なんてもってのほか。

 

病気や忌引きで休んでも当然のように賃金は引かれます。

 

ブラック企業らしく、雇用に際しての契約書なども一切ありません。

 

もちろん、就業規則もありません。

 

お給料もいくらもらえるかわからない状態でした。

 

就職してからというもの、睡眠時間は受験勉強していたときよりもずっと短く、常に栄養ドリンクでブースト。

 

社員のほとんどが車通勤だったので、終電などという指標もなく、日付が変わっても仕事が終わるまでやるというのが常態化していました。

 

退勤して4時間後に出社、ということもありました。

 

そしてこれほど働いていて、お給料は手取りで9万円

 

社長からは「使えない新人を一人前に教育してやっているのだから会社の方が金をもらいたいくらいのところを、こんなに給料をやっているのだからありがたく思え」と言われていました。

 

 

仕事中に倒れ、搬送。入院へ。

 

そんな無理がたたり、仕事中に突然、視界の半分くらいが欠如、人の顔も判別できない状態に。

 

それでも耳から入る情報だけで何とか数時間働いていたのですが、その後、ロッカールームで立ち上がれなくなり、救急搬送。

 

そのまま入院となったのでした。

 

手術が必要となった私は、医師から、入院期間2週間、自宅安静1カ月を言い渡されました。

 

搬送当日、社長から電話があり、スマホの画面が視界欠如で見えないのを、何とか苦労してベッドの上でとったことを覚えています。

(ガラケーだとボタンの触覚があるのでいいのですが、スマホだと電話に出るボタンさえ見えなくて困りました…)

 

正直、電話で「大丈夫?」というような話をされるものだとばかり思っていました。

 

かけられた言葉に、私は耳を疑いました。

 

 

「いつ復帰できる?長く休まれるとみんなの迷惑だから1週間以内には復帰して」

 

 

私は頭が真っ白になってしまいました。

 

社長の口からは私の体調を気遣う言葉など一言も出ず、むしろ「救急車を呼ぶなんて外聞が悪いことをよくもしてくれたな」と嫌味を言われたのでした。

 

術後、痛みと戦っているときにも、たびたび電話がありました。

 

しかも、電話は、同僚からかかってくるのです。

 

「いつ頃復帰できそう?」

 

社長から電話しろと言われているのは明白でした。

 

日に何度もいろんな同僚から同様の電話がありました。

 

復帰日をこたえあぐねていると、実家にまで電話があり、母親も参っていたので、私は医者に無理を言って一週間で退院したのでした。

 

医者からは、ここで無理をすると一生後悔することになるよ、と言われたのですが、ブラック企業に洗脳されていた私は、もはやどうにでもなれという気持ちと、あんたに何がわかる、という気持ちしか持ち合わせていなかったのです。

 

結果、無理して復帰。

 

勤務中、二度ほど倒れて早退しましたが、そのときにも「役立たず」「給料泥棒」と言われ、何故むりやり復帰してきたのにそのように言われないといけないのか、家で何度も涙しました。

 

なぜ、ここまでして辞めなかったのか。

 

それは、私の母親がツテを頼って探してきた仕事だったからです。

 

今となってはくだらない、と思いますが、当時の私は世間を知らず、とにかく必死で頑張っていました。

 

母親の顔に泥を塗らないようにしなくては、という気持ちと、期待にこたえたいという気持ちと。

 

小さい頃から良い子で育ってきた私は、母の期待にこたえることが人生においてのレールのようになっていたのです。

 

母親は、社長のことを決して悪く言いませんでした。

 

新人のあなたにこんなに色々教えてくれるんだから、悪く言ってはダメよ。

 

社会人はみんなそういうものよ。

 

今が頑張り時だから、頑張りなさい。

 

社長の住んでいる方向に足を向けて寝てはいけない、常に感謝していなさい。

 

あなたのことを思って言ってくれているのよ。

 

そう言われ続けていたのです。

 

…私は、ここで母親をせめるつもりはありません。

 

人として生きる上で、そのように子供を𠮟咤激励するのが悪いというわけではないと思うからです。

 

確かに古い考え方だとは思いますが、母親自身、そのようにして生きてきた人生だったのでしょう。

 

若い頃はきつかったけど、あの時の上司には感謝しているというような昔話をよく聞かされたものです。

 

それに、どうしてもきつければ辞めてもいいよ、とも言ってくれていましたし。

 

悪いのはやはり、母親の想像の範疇を超えたパワハラをしてきたブラック企業の方なのですから。

 

こうして、我慢強い性格と、期待にこたえたいと頑張ってしまう性格とが、悪い方向に働き、私はどんどん体調を壊していくことになるのでした。

 

 

うつ病発症

 

 こんな生活を10年近く続け、私は身も心もボロボロになっていきました。

 

今考えても、よく10年ももったなと思います。

 

搬送後も、不眠や胃潰瘍、偏頭痛、膵炎、不整脈、その他の様々なストレス由来の不定愁訴が起こり、休日はほぼ病院通いという毎日でした。

 

離職の3年ほど前からメンタルクリニックにも通い始め、睡眠導入剤と抗不安薬を使用しながら働いていました。

 

主治医からはずっと、仕事をやめなさいと言われ続けていましたが、社長から常に「お前は他へ行っても通用しない。ここを辞めたら雇ってくれるところなんてどこにもない」と言われ続けていたため、今の生活からさらに悪くなることが怖かったし、何より離職を言い出す自体が怖かったので、何もできずにただ毎日の仕事を、健康と引き換えにこなし続ける日々でした。

 

そんな中、今度は同僚が仕事中に意識不明になり、病院へ。

 

過労と栄養失調だと言われたとのことで、病院で点滴を受け、意識は回復したようでした。

 

とても驚いたことに、午前中に倒れ、病院にいるはずの同僚が、午後には職場に戻ってきていたのです。

 

何故午後休まないのかを聞きましたが、やはり社長から、意識が戻ったなら今から戻ってこいと言われたから、とのことでした。

 

その同僚は、ストレスから摂食障害を発症しており、そのときに戻って来たのも「死ぬときには職場で死んで社長に思い知らせてやりたいから」と言っていました。

 

それほど職場そのものが、狂気に満ちた環境になっていたのです。

 

その戦友ともいえる同僚がいたことも、私にとっては離職しない大きな理由でしたが、その同僚が、その半年後、ついに離職することになりました。

 

その同僚も、辞めるに際して様々なパワハラ行為をされており、体重は20キロ近く激減し、もはや水分しか受け付けない体になり、衰弱しきっていました。

 

早く離職しないと、もっと酷いことになるよ、と私に伝えて、同僚は離職していきました。

 

辞める際には、離職届と、月の残りは有給を使いますとの書面を郵送で送り、その後の電話連絡など一切絶ち、ある日から出勤しなくなるという離職の仕方だったようですが、それが一番賢かったのかもしれないと今は思います。

 

辞めた同僚は、職場で大ブーイングを受け、社長からは特に事あるごとに引き合いに出されて人間のクズだなどと貶められており、同僚と仲の良かった私が「次はお前が辞めるんじゃないだろうな」などと責められる立場になったのでした。

 

その後、しばらくは恐怖におびえながら頑張っていましたが、ついに体が言うことをきかなくなっていきます。

 

お腹や背中が痛くなり、椅子に座っていられず、仕事も満足にできない。

 

仕事に行くことが怖くて、動悸がして、心臓が止まるんじゃないかと思うほど苦しい。

 

常に首を絞められているような、のど元に何か詰まっているような感覚で息が出来ない。

 

私はここでようやく、社長に、あまりにも体調が悪いので出勤日を減らしてもらえないか、それが無理なら辞めると伝えたのでした。

 

今思えば、ここで出勤日を減らす交渉ではなく、離職の交渉をすべきでした。

 

しかし同僚がやめたことで業務に支障が出て、たくさんの人に迷惑をかけたのを見ていたので、自分が辞めるにしても段階を踏んで、誰か別の人が来てから、と思っていたのです。

 

母からも、それが社会人としての最低限のマナーと言われていたからというのもあります。

 

交渉の結果、休みは増えましたが、報復を受け、待遇と給与は一気に落ちました。

 

もちろん、10年間で給与は上がってはいましたが、基本的には社長の発言には嘘が多かったです。

 

「来年は給料〇万あげてやる」と言っていたのに、結果、その3分の1しか上がらない。

 

1円も上がらない年もありました。

 

何故か給料が上がらないのか同僚と一緒に聞きにいったこともありましたが、そのときには「退職金としてそのぶん積み立てている。そっちの方が税金を取られなくて済む」と言いくるめられてしまいました。

 

そのうち何を言われても「どうせ嘘なんだろ」と期待しないようになりました。

 

少し出勤日を減らしただけで給与を半分以下に減らされたことで、今度は生活への不安も起こってきました。

 

社長は、自分にたてついた報復と、また平常勤務に戻させるために過剰に減給したのだと思いますが、結果的に私はさらに追い込まれ、出勤がある前日からは薬を飲んでも眠れず、当日はパニックを起こす、職場で涙が止まらないなどの症状が出るようになり、医師からついにドクターストップが出たのでした。

 

 

診断書と離職届を提出。しかし…

 

 ドクターストップたる、診断書。

 

「明日これを見せて、そのまま帰宅したらいいから」と主治医に言われ、震える手でそれを受け取った私は、翌日、ガチガチに緊張しながら、社長にその旨を告げ、業務後、社長室に呼び出されたのでした。

 

あのときの緊張は今でも忘れません。

 

思い出しただけでも緊張で吐きそうになってきます。

 

何故緊張しなければならなかったのか、自分が悪いことをしているわけではないのに。

 

でも辞めるということが、とても悪いことのように思えていたのです。

 

みんなに迷惑をかける、今度は私が悪口を言われる番だ、親も失望する、無職になる…

そんな思いが頭の中を延々とぐるぐるしていました。

 

そんなとき、かつて辞めたあの同僚が言ってくれた言葉が思い出されました。

 

『社長と大事な話をするときには、絶対録音しておいた方がいいよ』

 

社長室に入る直前にそれを思い出した私は、一応念のため、軽い気持ちでスマホの録音ボタンを押して入室したのでした。

 

 

中には、ソファにふんぞり返った社長が。

 

テーブルには、午前中に提出しておいた離職届と、うつ病で勤務不可・自宅安静が必要と書いてある診断書が置いてありました。

 

明らかに不機嫌な社長を前にして、私の心臓は口から飛び出そうでした。

 

社長は、診断書を持つと、開口一番こう言いました。

 

「こんなもんが何になる」

 

それは、「通常は離職届を出してから2週間勤務するが、これがあれば当日から離職可能。診断書は法的根拠のあるものだから職場も無下にはできない、離職させざるをえない」と医師から伝えられて、私の中で想定していた反応とは全く違うもので、私は社長が何を言っているのかまるでわかりませんでした。

 

「こんな嘘八百、医者にでたらめ書かせて何様のつもりだ。大体こんなやぶ医者の言うことが信じられるか。こんなものは無効だ!」

 

そう言って診断書を投げつけました。

 

そして、出勤日を減らしてやったのに恩を仇で返しやがって、というような人格否定の言葉を1時間近く投げつけられ、いつの間にか私は泣いていました。

 

今までどれだけ頑張ったか、どれだけきつかったか、もう無理というところまでやってきたか、訴えながら勝手に涙があふれていたのです。

 

社長は「泣けば済むと思ってんのか?そうやって医者にも書かせたんだろ!」と言い、激昂しました。

 

結局私の10年間溜めた思いは伝わることなく、「こんなもんは認められん。明日からも通常通り仕事しろ」と言われて、部屋を追い出されました。

 

とめどなく涙があふれ、診断書をもってしても離職すら許されなかったことに絶望したのでした。

 

後編はこちら。

https://www.yurukiri.com/entry/pawahara_2

 

 

少しでもお役に立てたなら下のボタンをポチっとお願いします!